歩けなくなる日

目の前に存在する、急な坂道を力いっぱいのぼる。

歩ける日と歩けない日が存在するのは何故なのだろう。原理は理解しているつもりだけれど、それが起きるスイッチが見つからない。

 

 

 一瞬前まで踏みしめていたはずの床に崩れ落ちている。

怪我をしていなくても、足の感覚があったとしても、動かそうという意思が伝わらない。

ぺちぺちと叩いてみる。足は叩かれたという信号を受信する。嫌な感覚を拭うように掻きむしる。赤い線が浮き上がり、ヒリヒリと痛みを訴える。

 

動けと念じても、いつものように動こうと力を入れてみても、そこにいるのは座り込んでいる自分自身なのだ。

 

(中略)

 

歩けるようになる日

目の前に存在している、なだらかな坂を歩く。

 

なんだろうね

ハスミンたちってなんだろうね

誰なんだろう。

根っこが腐って流されていった、ハスミンたちは根っこがないの

確かなものがなくてこわい

名前を付けてもに変わり続け不確かなものになる、集合体ハスミン。本物がどれなのか、いつから考えなくなったのかな。

ハスミンたちは、この体を維持するためにハスミンを続けるのだ。

そう、なのだ。

わかっていても

通院して経過を見てもらってお薬を調整してもらって。毎週、毎週。

 

病気と向き合う力が足りなくて、わざわざ時間を割いて病気と生きていくための薬をもらいにいくのが嫌になるときがあるんだ。

嫌という気持ちなのかな、ちょっとむずかしいけど……心がギューッて痛くなって、涙が出てきて病院に行けないことがあるの。

お薬がないと眠れないから次の日にはがんばるの。担当じゃない先生に診てもらう。迷惑だってわかっていてもコントロールできないの。苦しくて、怖くて、病院に行けない。

 

病気と付き合っていくしかないのにね、

うまくいかないね

師匠

 

未熟だった私は別れという選択しか出来なかった。

とのことです。

あれから何年だろうか……。(たぶん3年とか)症状が悪化して身動きが取れなくなった時間もあったけれど、なんとか今の道で生きている。そして先日といういつかの近い日に

師匠と再会した、偶然に。

差しさわりのない会話にて終了。師匠を慕っていたハスミンがいないとこんなものだろう。

 

ハスミンの過去として引用しておこう。

師匠に出会い、師匠の仕事に必死に食らいついて必死に走った。結果として大きく成長させてもらった時間だった。

その経験はハスミンを生かしている。

眩しすぎる希望の光。今の選択肢で生きるハスミンを捻じ曲げてしまいそうになる程

らしい。

 

生きていてくれてよかった、笑っていてくれてよかった。

関わりのないぼくがそんなことを思うのは、強い感情がハスミンに存在するからだと思う……。

自信ないけどそんな感じがするー。

 

昔の話をして泣いたりしたいかな、師匠と別れてから頑張ってここまで生きてきたことをほめてもらいたいかな。

また会えたら話せるといいねー

ハスミンと呼ぼう

 随分と大層な記事名でして。

 

ここでの名前を決めましょう、Sokono774は呼びづらい。

ただいま多数決で承認されましたので”ハスミン”と名乗ります。

便宜的にハスミンの肉体を本体と呼ぶこともあるが、複雑な違いはそうない、はず。

 

どうもハスミンです。

ぼくたちがブログやアプリを駆使して記録しようとしても、確実ではない。そんなことわかりきっているので記録用媒体を増やす。そうすれば”別の”ハスミンにも届くだろう。こうして開設されました留め書き。

 

ぼくたちはハスミンであってハスミンでない、ハスミンを構成する一部であってハスミンを破壊する一部である。本体を通して行われるハスミンごっこはこうして各所で繰り返される。これらはハスミンを生かす行為であってほしい。

 

反復性うつ病性障害・解離性障害

診断名を教えてもらったのは診断書を作成してもらったとき。気が付いたらぼくたちはハスミンだったわけだ。

本体の通院自体は2012年から始まっており、様々な治療を行いながら今日に至っている。

 

この留め書きは大層なものではなく、ぼくたちが何かと戦いながら生きたいと泣き叫んだり、すべてを忘れてしまいたいと本体の体を傷つけて笑ったり、そんなことをわぁわぁと書き散らすハスミンのメモ帳なわけだ。